将来IT業界に就職したい学生必見!ヤフー ID本部長・政府CIO補佐官 楠正憲さんインタビュー

1.楠さんは大学生の頃からすでに個人事業主としてお仕事をされていたとのことですが、そのときのことをお話頂けますでしょうか?

私は、大学生の頃に個人事業主としてライターや受託調査の仕事をもらっていた時期があります。『就職氷河期世代が30代までに居場所を模索するための5つの習慣』のエントリーでも書かせて頂いているのですが、学生時代に個人事業主として営業から契約、業務、検収、請求まで通しでやったことで、アルバイトや正社員として会社の仕事の部分部分を任されるのと違って、自分の失敗を誰もフォローしてくれない緊張感があるし、仕事の全体像がみえたように思います。
自分で提案した仕事をやり遂げる機会は自信に繋がりますし、全体をみて仕事を回すことを通じて得られたソフトスキルは、20代後半から30代に入って居場所を探し直す場合にも大きな強みになるように思います。
またこのときの経験を通じて、会社組織のありがたみを痛感させられました。会社組織に所属しているからこそ、自分ひとりじゃ責任を負えないようなリスクをテイクできるというような発想を持てるようになったのは、いつも背水の陣だった個人事業主の頃の経験が大きいように思います。

2.楠さんはネット黎明期からIT業界に身をおかれ、マイクロソフトではCTO補佐や国際標準化活動の責任者,その後政府CIO補佐官を併任しつつ、ヤフーではIDの本部長としてお仕事をされてきていますが、なぜ今のような立ち位置でお仕事をするようになられたのでしょうか?

私が今のような立ち位置に行き着いたのにも、実は紆余曲折ございます。私の父が金融系のSEをやっていたので、足し算引き算は親父の書いたBASICのプログラムで学びましたし、家にも日経コンピュータとか専門誌が色々と置いてあって、中学生くらいから読んでいました。家庭環境がこのような環境だったので、私は自然とコンピュータに興味を持ちました。
中学3年生のとき私は物理部に所属していました。その物理部の2コ下の後輩にものすごく回路設計やプログラミングができる人間がいました。そのときに私は絶対にかなわないと思いました。プログラマーとして、勝負するのは難しいと悟りました。そこで、物理部に所属し、なおかつ新聞部に所属していたことを生かし、印刷屋に版下をつくってもらって学校新聞を発行していたものを、DTPを使ったワープロ新聞に変えて、これまで記事を書いてから読者に記事として届くまで3週間近くかかっていたところを、業務フローを見直して数日間まで縮めました。この頃から自分はITと社会の接点になるような部分で、自分の力を発揮しようと考えるようになったように思います。
また自分がつながっていった人たちとのつながりの中で、今のような仕事をするようになった側面があります。現在はマイナンバー制度に関わるお仕事もさせて頂いていますが、それもマイクロソフトに勤務していた時代に、当初Windows Serverのマーケティングを担当していたのですが、それだけではなく、外部の勉強会に参加するなど、色んなところへの関わりを増やしたことから縁が広がりました。
私が浪人中に予備校をサボって秋葉原にあった企業のショールームに顔を出して、そこのお手伝いをするようになり、そこで広げた人脈を通じて、大学に入ってから個人事業主として仕事をもらえるようになったのも同じようなことだと思います。人生の転機を振り返ってみると、いつも人とのつながりの中で、やるべき仕事へと導かれているように思います。

3. 最後にエンジニアインターンを見ている学生の皆様に一言お願い致します

たまたま学生時代やりたいことが仕事であればいいけれど、就職で有利になるというような理由であれば、やらなくてもいいのではないでしょうか。私の場合には、自分が一番やりたいことを選んできて、たまたまやりたいことが結果的に仕事に近いところにあっただけです。いま振り返るとどうせ人生の長い期間にわたって働くのだから、学生時代くらい社会人になってからは難しい留学とか、仕事以外のことをやった方が良かったのではないかと思うこともあります。
インターンの専門性に対して市場価値に見合った対価を払う日本の大企業が少なく、新卒採用の一つのプロセスになっているように思います。もし応募のプロセスとして意識する必要がないのであれば、大企業のインターンでお客様扱いされるよりは、小さい組織で頼られて、本当の戦力として働いた方がずっと濃い経験ができる場合もあるでしょう。
学生の方向けのエントリー『いい学校、いい会社に入る意味と、自分の頭で考えることの重要性』もありますので、もし興味のある学生の方はぜひ目を通してみて頂ければと思います。