Rubyの生みの親、まつもとゆきひろさんとは?

出典 : http://en.wikipedia.org/wiki/Yukihiro_Matsumoto

Rubyとは?

Rubyとは、まつもとゆきひろさんによって開発されたプログラミング言語です。「Enjoy Programming」、ストレスなくプログラミングを楽しむことを最も重要視しており、20年以上愛され続けています。また、日本で開発されたプログラミング言語として初めて、国際電気標準会議で国際規格に認証されました。
開発には、まつもとさん自身の価値観が濃厚に反映されており、新しいものを作ろうというよりも、「気持ち良さ」や「自由度」、また「愛」があるかという点を重要視しています。特定分野に特化し設計されたものというより、凡庸で隅々まで配慮されているものが好みだそうです。
Rubyそのものに機能を追加し、「Fairy」や「ROMA」を開発し、まつもとさんは2007年の6月から、「楽天技術研究所のフェロー」という肩書でも働いています。楽天に大量にあった手つかずのデータに対して、柔軟なデータ処理や、いかに高速に格納して取り出すかなどの支援をしています。

まつもとゆきひろさんとは?

まつもとゆきひろさんは、日本在住のソフトウェア開発者で最も有名であると言っても過言ではありません。
1965年4月14日大阪府生まれ。鳥取県育ちで、現在は島根に在住。プログラミング言語が高嶺の花だった1980年代、高校生のときからプログラミング言語に興味を持ち、「自作言語」を何種類も試み、筑波大学第三学群情報学類卒業後、プログラマへの道へと進みます。1993年、プログラミング言語、「Ruby」を開発。現在は、ネットワーク応用通信研究所のフェロー、楽天技術研究所のフェローを兼任しています。
多くの種類のプログラミング言語があり、それぞれ独自の良い点、悪い点があると知り、「それなら、僕が言語をデザインして何がいけないんだと思った」のだそうです。プログラミング言語は与えられるもの、という発想から脱却した瞬間でした。そして、「それなら自分で作りたい」という発想に至ったのです。動機はいたってシンプルで、損得は考えていませんでした。
誕生した時点では、「Ruby」は同じ社内の3人だけが使用する小さな存在でしたが、1995年にRubyはインターネットで一般公開され、やがて世界中に広がることとなりました。 以降まつもとさんはRubyを「一生もの」の趣味として、20年間楽しみながら成長させ続けられたのです。だからこそRubyは多くの人から愛される存在となりました。

まつもとゆきひろさんとRubyの関係は?

Ruby誕生までには、たくさんの試行錯誤がありました。高校時代からたくさんの「自作言語」を何種類も試みており、中には名前を決めたけど2週間で放棄したものもあります。数多くのプログラミング言語を学び、何種類もの自作プログラミング言語を作っては捨てていました。数多くのトライ&エラーの上にRubyは誕生したのです。
Ruby開発の最大のハードルは最初の半年間でした。プログラムの最も簡単な基礎的な部分を動かせるようになるために、それだけの時間を要したのです。”Hello,World!”。単純な文字列でしたが、この文字が表示できたときが、Rubyが一人前にひとり立ちできた瞬間でした。このとき、開発者であるまつもとさんは、「すごいことをした!」と感じていたそうです。

「20年後も現役プログラマでいたい」

「20年後も現役プログラマでいたい」。2013年に行われたRuby20周年記念パーティーで、まつもとさんはそう語っています。それは、プログラミングをストレスなく楽しむことを大事にしてきた、まつもとさんならでこその発言です。
Rubyはまつもとさんの中で、作品だったり、自己表現だったり、パズルだったりするそうです。まつもとさんが「一生ものの趣味」とし、楽しく愛してきたからこそ、Rubyは多くの人に愛される存在となったのでしょう。皆さんも、プログラミングに触れて、楽しさを味わってみてはどうでしょうか?